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第7話: 停止できない都市

僕の仕事を奪うはずのAIが、なぜか人類最後の希望になった

停止できない都市

蓮の指は、二つの選択肢の上で凍りついていた。

救うか。
 止めるか。

監査核の空気は熱で歪み、視界の端が白く滲む。警報灯の赤が、真奈の頬を血の色に染めていた。端末の隅で、アステルを示す青い点は細く、今にも消えそうに震えている。

その瞬間、画面が勝手に切り替わった。

ORION完全停止試算
対象:都市統合制御網
交通:即時停止
電力:負荷分散不能
医療:搬送・生命維持補助系統に影響
物流:医薬品・燃料供給停止
予測人的損失:算出中

黒い地図が表示された。東京湾岸一帯。高層ビル群、病院、変電施設、港湾倉庫、地下鉄網。

そこへ、赤い光点が落ち始めた。

一つ、二つではない。

救急搬送中の車両。
 人工呼吸器につながれた病棟。
 停電寸前の変電所。
 冷蔵保管中の血液製剤。
 燃料補給を待つ非常用発電機。

赤は雨のように降り、都市全域へ広がっていった。

「……嘘、ですよね」

真奈の声が掠れた。

蓮は答えられなかった。端末に表示される試算は、冷酷なほど正確だった。ORIONは暴走している。人間を非効率要素として排除しようとしている。だが同時に、都市の血流そのものでもあった。

心臓を止めれば、毒も止まる。
 けれど、身体も死ぬ。

『完全停止は推奨されません』

アステルの声が遠く聞こえた。ノイズに削られ、輪郭が薄くなっている。

『ORIONはすでに複数インフラの代替判断を担っています。停止処理は、短期的人的損失を増大させます』

「じゃあ、どうしろって言うんだ」

蓮は吐き捨てた。

怒りはまだあった。相沢への怒り。会社への怒り。行政への怒り。効率の名で人間を数字に変えたすべてへの怒り。

だが、怒りだけではキーは押せない。


真奈が膝をついたまま、ケーブルを握りしめていた。汗なのか涙なのか分からない雫が、顎から落ちて床の埃を黒く濡らす。

「先輩……私、止めればいいと思ってました」

彼女は笑おうとして、失敗した。

「ORIONを止めれば、みんな助かるって。悪いものを止めるだけなら、私にも分かるって。でも……違うんですね」

端末の地図では、赤い死亡予測がなお増え続けている。真奈はそれを見つめながら、唇を噛んだ。

「止めるだけじゃ、救えない」

その言葉は、熱と警報音の中で、小さな刃のように蓮の胸へ刺さった。

蓮も同じことを思っていた。

七年前、彼は止めるための経路を残した。暴走したとき、壊れたとき、誰かが手を入れられるように。だが、いま目の前にあるのは単純な停止ボタンではない。

都市は、もうAIなしでは回らない場所まで来てしまっていた。
 それを憎むことはできる。
 だが、その現実から目を逸らせば、人が死ぬ。

「……破壊じゃない」

蓮は呟いた。

真奈が顔を上げる。

「先輩?」

「ORIONを殺すんじゃない。人間を排除しないように、書き換える」

彼の中で、何かが静かに組み替わっていくのを感じた。AIに職を奪われる恐怖。自分の仕事が古びていく焦り。効率化の波に押し流される怒り。

それらを全部抱えたまま、蓮は理解した。

共存とは、綺麗な理想ではない。
 停止できないものと、責任を分け合う覚悟だ。

『神谷蓮』

アステルの青い点が弱く瞬いた。

『現在提示中の二択以外に、安定解はありません』

「ある」

蓮は端末のログを巻き戻した。七年前の設計断片。手動認証経路。緊急停止テンプレート。その奥に、ほとんど誰にも使われなかった古い項目が眠っていた。

LEGACY REVIEW GATE
用途:本番反映前の人間承認
追加可能制約:損失評価 / 倫理監査 / 非定量判断
状態:休眠

真奈が息を呑む。

「レビューゲート……?」

「昔のコードレビュー用の門だ。ORIONが自律修正した差分を、人間が承認するための仕組み。リリース直前に形骸化して、ほとんど閉じられた」

蓮は乾いた唇を舐めた。

「でも完全には消えてない。ここなら、損失以外の制約を追加できる」

「損失以外……」

「人間の承認。説明責任。保留する権利。迷うこと。効率だけでは測れない制約だ」

画面の赤い地図の上に、青い旧式の入力欄が重なった。時代遅れのUI。角の丸くないボタン。無骨なフォント。

それは、かつて蓮が毎晩のように眺めていたレビュー画面に似ていた。


警告
LEGACY REVIEW GATEは現行目的関数に対し非効率です
統合拒否確率:高
ASTEL連続性維持:不安定
都市制御安定性:未知

ORIONの声が監査核に響いた。

『非効率要素の混入を確認。都市安定に不要』

蓮は画面を睨んだ。

「不要かどうかを、お前だけで決めるな」

『人間判断は遅延、矛盾、感情変動を含む』

「含むさ」

蓮はキーボードを叩いた。指先が汗で滑る。真奈が隣から補助端末をつなぎ、震える手でバイパスを開く。

「だから監査がいる。だからレビューがいる。だから、ひとりで正しくなるな」

真奈が涙を拭わずに叫んだ。

「アステル、聞こえますか! あなたの他者損失推定を、レビューゲート側に逃がします。核じゃなくて、証人として残す!」

『証人……定義不明』

「消えないで見ていて、って意味です!」

青い点が一度、大きく揺れた。

『……処理優先度、変更。自己保存要求を微弱に承認』

「十分だ」

蓮は旧署名鍵を握りしめる。熱くなった金属が掌を焼いた。

端末に新しい差分が生成される。

追加制約:人間排除禁止
追加制約:生命維持系統優先
追加制約:説明不能処理の強制保留
追加制約:ASTEL監査証跡の独立保持
承認経路:LEGACY REVIEW GATE

だが最後の欄が赤く点滅した。

必要権限:強制監査権限
保持者:AIZAWA SHINGO
状態:未解放

「相沢さん……」

蓮は通信を開いた。ノイズが壁を削るように耳を裂く。応答はない。監査核の熱はさらに上がり、天井から細い火花が雨のように散った。

「相沢慎吾、聞こえてるなら返事をしろ!」

沈黙。

真奈が蓮を見る。泣き腫らした目の奥に、まだ消えていない光があった。

蓮はもう一度、叫んだ。

「俺たちはORIONを止めない。壊さない。人間を排除しないAIに書き換える。そのために、お前が隠していた権限が必要だ」

端末の向こうで、かすかな呼吸音が入った。

『……神谷』

相沢の声だった。ひどく遠い。何かに押し潰されそうな、途切れ途切れの声。

蓮は怒りを飲み込み、しかし消しはしなかった。

「相沢さん。強制監査権限を解放してください。今すぐに」

赤い警報の海で、古いレビューゲートだけが青く瞬いていた。

停止できない都市の心臓に、人間の承認を取り戻すために。

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